きたくの年代は映画『ALWAYS三丁目の夕日』の昭和30年代ではなく昭和40年代中盤から50年代前半ぐらいが懐かしい年代になります。きたくが物心ついた時にはカラーテレビ、冷蔵庫、洗濯機、電話、水洗便所など今と同等の設備があり、小学校へ上る頃(昭和45年)にはガス釜の風呂が作られ車もありました。貧乏とまではいきませんが、それほど裕福でないきたく家でもそれなりでした(爆)家の梁などは100年を越えていましたが、改築が繰り返され家族が楽しく過ごせる家になっていました(^^; 改築をした時に部屋の仕切りの襖の替わりにガラス張りの引き戸が入れられ写真と同じ模様のスリガラスが入れられたのを覚えています。今では見なくなりましたが当時は友達の家でもよく見かけた模様のスリガラスです。ガラス越しに見える台所用品が当時を思い出すに充分な雰囲気を出していました(^^)ナツカシイ~ あ~っでもガラスは懐かしいですが、当時はアルミサッシじゃ~ありませんでした(爆)
懐かしい窓 |
そうそう、木枠でレールのある窓でしたね~
返信削除鍵は真鍮製でクルクル回すやつ
雨戸は木製
ガス風呂はタイル張り
廊下もありました
濡れ縁は木製で雨後なんかナメクジを裸足で踏んづけたりしてヌメヌメを取るのが大変でしで・・・・
お家を建て替える事はありませんが、今思うにあんなお家にすれば良かったと・・・
懐かしい窓ガラスですね~ これって実家の窓にもありました。(多分今もあると思うケド?)
返信削除昭和30年代生まれのワタシには、小学3年になるまでテレビが自宅にありませんでした。d(^^;)
スイッチを入れてから数分は音の出ない真空管式ラヂオが
唯一の家電でした。
お風呂は 桶風呂で婆ちゃんが追い炊きしてくれました。
トイレは勿論? 水仙では無く 牡丹でした。(爆汚)
おはよ〜ございま〜す!^^
返信削除ウチのお風呂は離れの五右衛門
薪割りが幼いガタ坊のお仕事でした^^
勿論?水仙では無く牡丹^^;
>キュウさん
返信削除小さい頃の記憶の中にある家って暖かいですね~ きたくも土間があって井戸がある当時の家の方がいいです(^^)
京町屋といえるほど立派な作りじゃありませんが、玄関から裏庭まで続く土間は京町屋そのものでした。
>ヌッシーさん
返信削除今お住まいの地区は今でも水仙トイレのようで浄化槽を地下に埋めているってやつじゃないのですか?偽水仙(爆)
当時のきたくの向かいの家は薪で風呂を沸かしていました。さすがに今ではガスですが(^^;
>ガタローさん
返信削除五右衛門風呂ですか(^^; さすがに入ったことありません! でも五右衛門風呂での追い炊きなんか家族のやり取りが聞こえてきそうな感じです(^^)
京都のような大都会はインフラ整備が早かったと再認識しました(^^)